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冬の空気が鋭さを増した釧路港に、白い船体が静かに岸壁を離れた。現役最古の巡視船「そうや」（3100トン）が2025年11月4日、拠点の釧路港から最後の航海に就いた。砕氷能力を備え、オホーツク海の冬を切り拓いてきた船だ。年内の退役が見込まれる中、氷海の最前線を支えた47年の時間が、ゆっくりと港の外へ滑り出していった。
氷を割り続けた47年の時間
そうやは1978年に就役し、初代「宗谷」の名を受け継いだ。船体長は約98.6m、ヘリ1機を運用できる大型巡視船として、釧路を拠点にオホーツク海の冬季警備と海難救助に当たり続けてきた。厚い氷板が水平線まで連なる季節でも、船首で氷を割り進む姿は、沿岸の人々にとって冬の記憶そのものだったといえる。氷に閉じ込められた船の救助や航路確保に挑み、北の海の物流と暮らしを支える役割は重く、日々の任務の積み重ねが地域の安心を形づくってきたと映る。
毎冬の流氷観測にも欠かせない存在だった。海上保安庁の業務支援のもと、北海道大学の研究者らとともに海氷や海流の観測、水温・塩分の測定などを行い、変わりゆく海の兆しを現場で捉え続けた。海氷の面積や性状の変化を刻む作業は、航行安全だけでなく、気候変動を読み解く基礎データにもつながる。現場の視点が科学へと橋渡しされ、知見が社会へ還元される流れを、そうやは長年の協働で支えてきたのである。
4日の出港にあたり、岸壁では別れを惜しむ視線が静かに集まった。現時点で確認されている範囲では公式な退役日の詳細は限られるが、一部報道によれば11月12日に引退し、北九州市の解体施設へ向かう予定と伝えられている。氷の海に鍛えられた船体は、長い任務で得た無数の擦痕を抱え、最後まで規律正しく動き続けている。甲板の足音や甲高い汽笛の響きが、47年の時間を凝縮したように港に残響し、やがて風に溶けた。
数字が語る功績と役割
そうやの歩みは数字にも刻まれている。就役以来の航行距離は約191万kmに達し、地球約48周分に相当するという。極地さながらの条件下で任務を重ねた事実は、単なる長距離の記録以上の重みを持つ。流氷域の観測と警備、氷海での警戒監視、停滞船の離礁支援など、冬の海でこなさねばならない仕事は多岐にわたる。氷に抗いながらも淡々と航行を続けた時間が、この距離の中に層のように積み上がっているとみられる。
人命救助の実績も重い。600件を超える海難に出動し、累計で1400人以上を救助したとされる。数字の背後には、荒天の夜明け前に続く捜索や、氷雪に覆われた甲板での緊張が刻まれる。2011年の東日本大震災では、被災地沖での捜索や支援にも当たり、洋上の活動拠点として機能した。砕氷能力とヘリ運用を併せ持つ特性が、救難・警備・観測を横断して力を発揮し、船と乗組員の連携が困難な現場ほど強みとなった構図が浮かぶ。
冬の海での観測は、異変の早期把握や航行安全に直結する。海氷の厚さや分布、風と潮の組み合わせは、船の動きや救難活動の難易度を左右するからだ。北の海の変化は年ごとに揺らぎ、時にこれまでの常識を書き換えてきた。そうやが担った観測の蓄積は、現場の判断を精緻にし、次の一手を早くするための羅針盤になってきたと映る。数字は静かだが、その一桁まで、寒風と海水の重みが乗っている。
受け継がれる名と北の海の記憶
初代の南極観測船「宗谷」から受け継がれた名は、北の海の象徴でもあった。氷を押し割る船首の赤が白い海に刻む航跡は、毎冬の風景として幾度も撮影され、市民のアルバムにも残る。現行船は退くが、後継の新造巡視船が就役し、名も受け継がれる見通しだ。技術も装備も新しくなっていく一方で、氷海に挑む覚悟や、救助に駆けるための手順や声掛けといった非定量の知は、人から人へと受け渡される。甲板で交わされた短い言葉や、気圧の下がり方で嵐を読む感覚も、次の世代の体に染み込んでいくのだろう。
研究者との協働もまた継承されるはずだ。観測海域は同じでも、海は毎年違う顔を見せる。だからこそ、現場の勘と科学の手続きが結び合う意義は揺らがない。流氷の音、氷間を渡る風、低く鈍い船体の振動。そうした具体の感触が、データの背後に確かな体温として残る。出港の朝、静かに上下する船影を見送る港の空気に、北の海の記憶が淡くたゆたっていた。最後の航海ののち、そうやの名は別の船体に宿り、また新しい冬を迎えるだろう。
