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警察官が観客の列を静かに見守る中、紫のマフラーを手にした日本人サポーターがバスから降り立った。2025年11月25日夜、中国四川省成都市のスタジアムで行われたアジア・チャンピオンズリーグ・エリートのサンフレッチェ広島対成都蓉城戦は、日中関係の緊張のただ中でキックオフを迎えた。それでもピッチ上では両チームが1-1の熱戦を演じ、観客の動きは最後まで大きな混乱なく収まった。
厳戒の観客席、それでも響いた声援
広島のアウェー席周辺には、試合開始前から多くの警察官が立ち、通路ごとに小さな隊が巡回していた。通常の国際試合より明らかに厳しい警備で、日本人サポーターが陣取る一角は柵と警察官に守られるような形になった。スタジアムの壁には「政治や民族に関わるスローガンや物品を持ち込まないこと」と中国語と英語で書かれた張り紙がいくつも貼られ、観戦マナーの線引きがはっきり示されていた。
日本人サポーターには、安全確保のため試合会場との往復に専用バスの利用が求められた。成都市内のホテルに集合し、一般客とは別の動線で入退場する方式だ。広島県呉市からツアーで訪れた50代の男性は、ふだんはクラブのユニホームを着て声援を送るというが、今回は「目立たない服装」で臨んだ。ツアー会社から派手な応援グッズを控えるよう説明を受けたためで、サポーターも緊張感を共有しながらスタンドに向かった。
台湾有事答弁と揺れる日中関係
こうした慎重な対応の背景には、高市早苗首相の国会答弁をきっかけにした日中関係の悪化がある。首相は台湾有事が起きた場合、日本が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」になり得るとの見解を示し、その後も撤回しない姿勢を繰り返している。「存立危機事態」とは、日本の存立や国民の権利が根本から脅かされると政府が判断した状態を指し、武力行使が可能となる重い判断だ。中国側は発言に強く反発し、政治的な空気は冷え込んでいる。
一方で、高市首相は習近平国家主席との会談で確認した「戦略的互恵関係」や「建設的で安定した関係」の方針に変わりはないとも説明している。とはいえ実務の現場では、日本企業の行事や文化イベントが中止や延期となる例が相次ぎ、スポーツの試合も例外ではない。そうした中で行われた成都での一戦は、重慶の日本総領事館が観戦者や在留邦人に注意喚起を出したうえでの開催となり、外交上の緊張がスタンドの警備態勢にも影を落とした。
次の舞台は上海、市民レベルの距離
試合当日、地元当局は中国側サポーターに対しても、過激な行動を控えマナーを守るようショートメッセージで呼びかけていたとされる。実際に試合後、現地メディアの取材に応じた成都側のファンからは「政治とは別にサッカーを楽しみたい」といった声も聞かれ、ピッチ上の勝敗と外交問題を切り離そうとする姿勢もうかがえた。スタジアムを出る観客の列は整然としており、日本人サポーターを乗せたバスも大きなトラブルなく夜の街へと走り去った。
26日夜には上海市でヴィッセル神戸と上海申花の一戦が予定されており、日本政府や在上海総領事館も不測の事態への備えを続ける。日本チームのアウェーツアーは、移動の自由が制限され、団体行動と目立たない服装が求められる異例の形となっている。それでも選手たちはゴールを目指し、サポーターは声と拍手で後押しする。政治の緊張が続くなか、ボールを追う90分間だけは、両国の人々が同じ方向を見つめる時間になっている。
成都のスタジアムを後にした人々の足取りは早くも次の試合へ向かい、遠く離れた外交の駆け引きとは別に、静かな応援の光景がまたどこかのスタンドに積み重なっていくように見えた。
