退陣表明の首相、国連総会演説で示した日本の針路

退陣表明の首相、国連総会演説で示した日本の針路

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2025年9月23日、石破茂首相が国連総会の一般討論演説に立った。「分断より連帯、対立より寛容を」。戦後80年と国連創設80年の節目を重ね、日本の歩みを語りつつ、次の時代への針路を示した。退陣を表明した指導者にとって最後の大舞台となる見通しの演説は、何を国際社会に遺したのか。

ひと晩だけのニューヨーク、壇上に置いた言葉

秋の気配が濃くなる東京を発った首相は、国連本部の広い総会場に立った。日本時間の2025年9月24日朝、壇上のスポットライトの中で口を開くと、最初の一節に「アジアの寛容の精神」を置いた。敗戦後、日本は地域の寛容に支えられた――そう振り返り、戦後の営みを「不戦の誓い」の延長線上に位置づける語り口は、硬い声明というより、長い旅路の記憶を綴るような調子だった。

続けて首相は、「分断より連帯、対立より寛容を」と観客に語りかけた。フロアの各所には同時通訳のヘッドセットが光り、各国代表が静かにメモを走らせる。東アジアの安全保障環境は、ウクライナや中東で起きている事象と密接に絡み合うという認識も示し、地域の枠を超えた危機のつながりを強調した。世界はひとつの地図の上で呼吸している――そんな実感を促す場面だった。

節目に言葉は重くなる。首相は「国連創設80年」に触れ、制度疲労を指摘しながらも、なお国連に期待を託す姿勢を示した。では、節目の年に必要な言葉とは何か。抑揚を抑えた演説の底には、応答を聴衆に委ねる静かな問いが流れていた。

「寛容」を軸に据えた戦後観

戦後の日本を支えたのはアジアの寛容だった――この定義は、歴史の痛みから目をそらさない前提に立つ。首相は「アジアの人々は戦後、日本を受け入れるのに寛容の精神を示した。計り知れない葛藤があったはずだ」と語ったうえで、自身が韓国や中国、東南アジアの首脳と対話を重ねる中で、未来志向の関係の必要性を確信したと述べた。過去を抱えながら未来を開く作法は、しばしば言葉より所作に現れる。その意味で、この日の演説は「どう謝るか」よりも「どう伴走するか」に重心を置いていたと言える。

もうひとつの軸は、節目の重なりだ。戦後80年と国連創設80年が重なる年に、日本は何を語るのか。首相は、国連を「機能不全」と断じる声に寄りかかることなく、制度を現実に近づける努力を重ねるべきだと説いた。そこには、過去の総括だけでは終わらない、次の10年に向けた宿題を自らに課す姿勢がにじむ。歴史の節目は結論の時ではない。問い直しの起点であるという含意が、いくつものフレーズの裏で脈打っていた。

総会場は、各国の時差と事情が交差する「世界の交差点」のような場所だ。歩いているだけで言葉の海にのみ込まれそうになるが、ふと静まる瞬間がある。今回、その静けさは「寛容」という言葉が呼び込んだ。寛容は容易に聞こえるが、実践は難しい。私たちはいま、相手の痛みを想像する力をどこまで持てているのだろうか。

安保理改革、パレスチナ、北朝鮮――踏み込んだ現実の座標

具体策の提示も、演説の柱になった。首相は国連安全保障理事会の改革に正面から言及し、常任・非常任理事国の拡大を含む見直しの必要性を示した。改善はいつも手続きの連続である。それでも「今こそ断行を」と語気を強めたのは、ウクライナ侵略から中東の緊張まで、国連の機能不全が生む「遅れ」の代償があまりに大きいからだ。制度の設計図を現実に合わせるのか、現実を制度に近づけるのか。この古くて新しい二者の間に、政治の汗をにじませる覚悟がにじんだ。

中東では、パレスチナ情勢に踏み込んだ。ガザの人道危機を直視したうえで、日本が支持する「二国家解決」の実効性に言及し、イスラエルが道を閉ざすなら「国家承認」を含む新たな対応を取り得ると明確に述べた。欧州では主要国の一部が相次いで国家承認に動き、日本にも判断を迫る圧力が強まっている。国内ではこれまで慎重姿勢が目立ってきたが、国連の壇上で示した一線は、外交の選択肢を増やす狙いと受け取れる。カードは見せた。次は切り方だというメッセージである。

朝鮮半島では、北朝鮮の核・ミサイル開発を「重大な脅威」と位置づけた。抑止と対話、制裁と人道支援――相反する要素がしばしば同居する難題で、日本の安保政策の中枢を占める論点だ。首相は、日朝平壌宣言に基づく国交正常化の目標には触れつつも、脅威評価は甘くないことを示した。東アジアの安定は、遠い空の出来事に左右されるのではない。足元の均衡をどう確かめ直すかという、自国の意思の問題でもある。

演説の合間、首相は核兵器のない世界の実現に向け、被爆地への訪問を各国の指導者や若者に呼びかけた。理念は語るだけでは届かない。場所と記憶に触れて初めて、抽象は手触りを得る。安保理改革の議論も、パレスチナの選択肢も、北東アジアの抑止設計も、最終的には「人間の尊厳」という一点で結ばれる――そんなメッセージが、行間から立ち上がっていた。

退陣前夜の外遊が映す「短さ」と「重さ」

政治の時計は待ってくれない。自民党総裁選は2025年9月22日に告示され、永田町は次の指導者選びに走り始めた。その直後に旅立った首相のニューヨーク滞在は1泊にとどまる見通しで、帰国は25日。首脳外交の定番である多数の二国間会談や長時間の調整を積み上げる余地は限られる。それでも首相は、国連の壇上で自身の言葉を刻むことを選んだ。短さは弱さではない。焦点を絞ることで、伝わるものがあると信じたからだ。

今回の外遊は、退陣前の最後の国際舞台になる可能性が高い。首相は演説前、会見で安保理改革や中東情勢、核軍縮への姿勢を語ったうえで、米大統領との接点についても「機会を作りたい」と述べた。時間の制約が厳しい中で、どこまで成果を形にできるか。大きな「タマ込み」を控えるという外務当局の現実的な見立ての一方で、政治が言葉に託す力は、時に数字以上の重さを持つ。

比較のために昨年を思い出す。2024年の一般討論演説は、岸田文雄前首相が帰国し、国連大使が代読した。連続する「非連続」の年。だからこそ、今年の壇上に向けられる視線は、例年以上に言葉そのものの輪郭に集中した。形式や儀礼で埋めがちな部分に、素朴な問いがこぼれて見えるからだ。

月末には韓国訪問の調整も進む。シャトル外交の再起動という文脈では、国連でのメッセージとソウルでの対話は一本の線で結ばれるはずだ。演説で強調した「寛容」は、首脳会談のテーブルでどう具体化するのか。短い旅程の先に、次のページを書き継ぐ余白は残されている。

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