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重火器の轟音が砂の町にこだました。ナイジェリア北東部マラムファトリの基地が2025年11月3日、ISWAPの襲撃を受け、軍は「激しい戦闘」の末に撃退した。兵士14人が負傷し、戦闘員数人を殺害、9人を拘束したと軍と地元民兵が5日に明らかにした。隣国からの住民帰還が再開された直後に起きた一撃は、境界の町が抱えるぜい弱さを改めて浮かび上がらせた。
基地を狙った長時間の銃撃戦
ISWAPは重火器とロケットランチャーで基地に迫り、内部への突入を試みた。現地で軍を支える民兵指導者ババクラ・コロ氏は「強い抵抗に遭い、長時間の銃撃戦となった」と語る。軍側は装甲車両と迫撃による反撃で正面から押し返し、周辺で離脱を図る小隊を追尾したとされる。結果として複数の戦闘員が倒れ、9人が拘束された。負傷した兵は医療拠点へ搬送され、容体の確認が続いている。戦闘の詳細は段階的に精査されており、現時点の説明は当事者の報告に基づくものだ。
一方、SITE Intelligence Group(サイト・インテリジェンス・グループ)によれば、ISWAPは11月5日に犯行声明を出し、同組織の戦闘員が軍側に被害を与え、武器を奪取したと主張した。火力と人数を誇示する常套の広報に対し、軍と民兵の説明は撃退を強調する。双方の叙述が食い違うのは、この地域の戦闘報告では珍しくない。現場の煙が収まる前に情報が動き、後から修正が入るのが通例である。
帰還が動き出した町で
マラムファトリはボルノ州都マイドゥグリから約200kmの国境地帯にある。2014年にボコ・ハラムの支配下に落ち、翌年に軍が奪還した。その後も断続的な襲撃が続き、家を再建するたびに火が放たれるという悪循環が住民を苦しめてきた。州当局は隣国ニジェールのトゥムールに避難していた人々の帰還を促し、2025年11月1日にも約1000人を受け入れたばかりだった。今回の攻撃は、その2日後にぶつかった。
帰還事業は道路の安全確保、家屋の復旧、学校や診療所の再開と連動している。だが、国境線に近いことが災いし、武装勢力が湖沼地帯から身軽に出入りできる構造は変わらない。防衛線は強化されても、畑や井戸、集落の周縁は盲点になりやすい。生活を回復させたい住民の動きと、隙を狙う戦闘グループの機動が交錯し、町の時間はしばしば前に進めずにいる。
続く脅威と地域の行方
ISWAPは2016年にボコ・ハラムから分岐し、以後は軍拠点や補給線を狙う作戦で影響圏を広げてきた。年明け以降、マラムファトリの基地も繰り返し標的となっているとされる。紛争は2009年に本格化し、死者は膨らみ、多くの人々が住まいを離れた。暴力は周辺へ延焼し、多国籍の共同対応が採られる構図も続いている。戦況は季節や水位、道路状況にも左右されるため、短い静けさの後に次の衝突が起きることも少なくない。
それでも、帰還の動きは止まらない。市場を再開し、校庭の遊具を直し、壊れた屋根に新しいトタンが載るたび、町はかすかな手応えを取り戻す。今回、基地の防衛線は破られなかった。銃声の余韻が遠のき、砂埃が落ち着くと、住民はまた井戸へ向かい、水をくみ、家路に就く。境界の町の暮らしは、断ち切れない日常の手順に支えられている。
