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就任会見で資料をめくった鈴木憲和農林水産相が「需要に応じた生産」を繰り返す。2025年7月に石破前政権が増産へ舵を切ってから、わずか3か月。10月末には26年産の主食用米の生産量目安を711万トンと示し、増産の流れを止める判断を明確にした。現場の不安を抑える意図はにじむが、政策の向きが短期間で反転した事実は、農家と消費者の見通しをかえって曇らせている。
すばやい変わり身
鈴木氏は2025年10月22日の就任会見で「需要に応じた米の生産が原則」と語り、前政権の増産方針を事実上転換した。数日後の31日には、26年産の生産量目安を711万トンと提示。需要見通しの上限に沿って上位値を置く考え方を示し、直近の過剰な増産は避ける構えを打ち出した。備蓄米は「本当に足りなくなったときに放出する」位置づけだとし、来季の通常買い入れ約21万トンを見込む姿勢も説明した。
これに先立つ7月1日、石破前政権は関係閣僚会議で増産へ転じる方針を表明していた。米価高騰を背景に作付け意欲が高まり、政府内でも生産拡大の機運が強まっていたからだ。需要拡大と輸出のてこ入れを合わせ、産地の所得を押し上げる構図を描いた。しかし秋に政権が交代し、舵は再び「需給均衡の維持」へ戻った。
短期間での往復は、数字の上では合理的でも、現場の意思決定を難しくする。生育サイクルが長い水稲では、翌年の作付けと設備投資を早い段階で固める必要があるからだ。需要の上限に合わせた目安は安全側に働く半面、増産へ踏み出した産地ほど調整コストを抱える。政策の安定度が、そのまま現場の信用度になる。
揺れる現場と政治の距離
方針転換の背景にあるのは、過去の記憶と足元の価格だ。かつての減反（作付けを抑えて米価を維持する政策）は1970年に始まり、2018年に国の直接関与は区切りを迎えた。それでも、需要の枠組みや産地間の目安は残り、事実上の調整は続いてきた。米価が大きく崩れた時期を知る産地には、再び余剰に陥ることへの警戒が根強い。
鈴木氏は「今すぐの大幅増産は需給の安定を損ねる」と述べ、当面は国内の需給均衡を優先する。備蓄の平時運用も見直し、通常買い入れの確保でバッファーを回復させる考えを示した。一方で中長期は、輸出や外食・加工向けなど需要拡大を通じて「増産トレンド」を再構築したいと語る。足元の均衡と将来の拡大、その二兎をどう追うかが次の課題になる。
政治の力学も無視できない。野党に苦戦する与党にとって、産地の不安は選挙にも直結する。増産の期待を高めた直後の見直しは、拙速さの印象を残した。ただ、政権が変われば農政のアクセントが変わるのは常であり、今回の転換もその延長にある。重要なのは、数値目安だけでなく、年をまたぐ投資や担い手対策に一貫した道筋を置けるかどうかだ。
価格と支援、どこに手を伸ばすか
店頭では値ごろ感を欠くとの声が続き、家計と産地の双方に重さがのしかかる。鈴木氏は価格形成を市場の役割と位置づけ、政府が直接「高い・安い」を裁定しない姿勢を示している。備蓄の適正運用や需給見通しの精度向上、品ぞろえの多様化など、関与の仕方を限定することで市場の自律性を守る考えだ。需要の山谷に合わせた丁寧な情報発信も、過度な期待と失望を抑える。
一方で、購入支援の在り方はなお手探りだ。家計の負担感に寄り添いながら、価格シグナルを歪めない設計が求められる。現金や地域の施策を通じた限定的な補助は息継ぎになり得るが、恒常的な高止まりを招かない歯止めが要る。支援の出口と併せて、業務用の需要回復や輸出の拡大、加工・中食との連携強化といった「売り場を広げる」施策と対で進めたい。
産地の多様性も鍵になる。単一の高価格帯に依存せず、品質・用途・流通の選択肢を並べることで、消費の裾野を広げられる。飼料用米やWCS（稲発酵粗飼料）のような水田の複合利用は、価格局面ごとの逃げ道にもなる。需給均衡に配慮しつつ、中長期の需要創出と生産性向上を重ねる。地味な積み上げが、政策の揺れを吸収する緩衝材になる。
減反とは
減反は、米の作付けを抑えて価格の乱高下を防ぐための政策で、1970年に導入された。補助と生産調整で需給を合わせる仕組みだったが、2018年に国の直接関与は見直された。その後も需要見通しや目安は提示され、地域の合意形成を通じて事実上の調整が続いてきた。今回の「需要に応じた生産」は、この系譜に位置づく言葉であり、数値目安や備蓄運用とセットで理解すると実像が見えやすい。
穂を渡る風は見えないが、産地の調整は確かに進んでいる。変化の兆しは、まだ小さい。
