本サイトの記事や画像はAIが公的資料や報道を整理し制作したものです。[続きを表示]ただし誤りや不確定な情報が含まれることがありますので、参考の一助としてご覧いただき、実際の判断は公的資料や他の報道を直接ご確認ください。[私たちの取り組み]
11月27日、ローマ教皇レオ14世が初の外遊先トルコで演説し、世界はかつてない数の流血を伴う紛争に揺れ、人類の将来が危機に瀕しているとの見方を示した。各地で続く戦闘を、ひとつながりの「断片的な第三次世界大戦」と捉えるべきだと訴え、正義や平和よりも軍事力と経済戦略を優先する政治のあり方を厳しく批判した。この警告は、遠い戦場だけでなく、日々の生活を送る私たちにも何を突きつけているのだろうか。
分散する戦火のなかで、日常を送る人びと
教皇が言及したのは、ウクライナやガザをはじめ、地図上のさまざまな場所で同時進行する武力衝突だ。ロイター通信などによれば、彼はトルコの首都アンカラで、こうした多発する戦争が世界全体の安定を揺さぶっていると指摘した。砲撃や停電、避難生活が日常となった地域では、人びとは学校や仕事、家族との団らんといった当たり前の時間を守るだけでも精一杯の状況が続いている。
一方、多くの日本人にとって戦場は遠く、実感しにくい。だが、エネルギー価格の高騰や食料品の値上がり、難民受け入れをめぐる各国の議論は、分断された戦争が自国の経済や社会にも波紋を広げていることを静かに物語る。ニュースやSNSに流れる破壊された街の映像に慣れてしまえば、「どこか別の世界の出来事」として処理してしまう危うさも増す。
教皇があえて「断片的な世界大戦」という言葉を用いたのは、個々の紛争を切り離して見るのではなく、同じ構造のもとに起きる暴力として捉え直してほしいというメッセージでもある。遠くの出来事のように見える戦争が、物価や安全保障、社会の分断を通じて、自分たちの足元の不安定さとつながっているのではないか――それが、彼が投げかけた問いだ。
レオ14世がトルコで訴えた「正義と平和」
今年5月に選出されたレオ14世は、約14億人の信徒を抱えるカトリック教会で初の米国出身の教皇だ。ロイター通信やAP通信の報道によると、今回のトルコ訪問は就任後初の海外歴訪であり、その最初の演説の場としてアンカラを選んだ。彼は、世界の不安定化は各国の「野心的な政治や経済の選択」が正義と平和を踏みにじっている結果だとし、指導者たちに優先順位の見直しを迫った。
トルコはイスラム教徒が多数を占めつつ、欧州と中東をつなぐ要衝でもある。教皇はエルドアン大統領との会談後の場で、同国が地域の安定と対話の橋渡し役になりうると評価しつつ、軍事力と経済制裁だけに頼る安全保障では持続的な平和は生まれないと訴えた。また、今回の旅程には、キリスト教の基本教義であるニケア信条が制定されてから1700年を記念する行事への参加も含まれており、歴史的な和解の象徴としての側面も強い。
同時に、教皇は特定の国名を繰り返し挙げることは避けながらも、ガザやウクライナで続く惨状に触れ、いかなる陣営であれ民間人の犠牲を軽視する姿勢を批判したと伝えられている。宗教指導者としての言葉は法的拘束力を持たないが、国際社会の「良心」として、力の論理に傾きがちな外交の場に別の軸を差し込もうとしているように見える。
「断片的な世界大戦」が問いかける次の一手
今回の旅はトルコにとどまらない。各紙の報道によれば、教皇はこの後、レバノンを訪れ、2020年に大爆発で甚大な被害を受けたベイルート港周辺で祈りをささげる予定だ。イスラエルとヒズボラの緊張が続く地域への訪問には安全面の懸念もあるが、それでも紛争の影響が色濃い土地を選んだこと自体に、「苦しむ場所から目をそらさない」というメッセージが込められている。
教皇が語る「第三次世界大戦」という表現は、政治指導者や軍事同盟だけでなく、市民社会にも選択を迫る。武器輸出やエネルギー調達、制裁の是非といった政策は、一見専門的な論点に見えるが、その背景にはどの地域の不安定さを事実上容認するのか、誰の命を優先して守るのかという価値判断がある。個々の国が自国の利益だけを追えば追うほど、局地戦は増え、世界全体としては戦時に近い緊張状態が常態化していく。
断片化した戦争をひとつの構造として見直すことは、すぐに紛争を止める「特効薬」にはならない。それでも、遠くの戦場を日々の暮らしと切り離さずに考えることが、政治に対してどのような行動を求めるのかを選び直す第一歩になるのかもしれない。
