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薄暗い車庫を出た赤い車体が、静かなモーター音を残してオスロの朝に溶けていく。そんな日常に、目に見えない綻びが見つかった。2025年10月28日、首都圏の公共交通を担うRuterが、中国製EVバスの一部に重大な欠陥があると公表した。遠隔更新の仕組みが乗っ取りの入口になり得るという指摘であり、電動化とコネクテッド化が進む公共交通の「安全の新常識」を問い直す局面が来たと映る。
走行の裏側で何が起きたか
Ruterは今夏、山中の隔離環境でEVバス2台の包括的な安全テストを実施した。新造の中国・Yutong製と、稼働から3年のオランダ・VDL製を並べ、監視や制御系への影響を精査したという。現時点で確認されている範囲では、カメラ映像の外部送信は発生しない一方、ソフトウェア更新や診断のためにメーカーが持つデジタルアクセスが、理論上は車両の挙動に影響し得るリスクとして浮かんだ。
差が出たのは更新手法だった。VDL製はOTA更新の前提がなく、攻撃面は限定的と判断された。対してYutong製はOTAに対応し、各車に対するメーカーの直接アクセスが存在する。車載の電源・バッテリー制御系へは携帯網経由で到達し、ルーマニアのSIMカードが使われていたとされる。理論上はメーカーが車両を停止させる、あるいは動作不能にする可能性が否定できず、サイバー面の入り口が可視化された格好だ。
ただしRuterは手をこまねいてはいない。クリティカルな機能に至る経路は限定的で遮断が容易とし、外部からの信号を遅延・検査して安全性を担保する「デジタル・ファイアウォール」の実装に動く。加えて、今後の調達要件をいっそう厳格化し、国・自治体と連携してバスのサイバー要件を明文化する方針だという。現場は「懸念」から「具体的対策」へ、段階を一つ進めたとみられる。
揺れる政策判断と安全保障のまなざし
波紋はすぐさま政策の領域に広がった。Ruterは関係当局に結果を報告し、運輸当局とも対応を協議したと明かす。一部報道によれば、政府は本件の調査に着手し、運輸相は安全保障協力関係にない国の製品を運行するリスクを精査する考えを示した。供給網とサイバーの結節点に公共交通が位置する以上、技術的な対処と併せて調達・運用ルールの再設計が欠かせない局面である。
実運行への波及も見逃せない。Ruterはオスロ圏で中国製EVバスを約300台運行していると報じられており、現場のオペレーションに直結する論点が積み上がる。例えば、更新経路の遮断は保守の迅速性を損なわないか、部品・ソフト更新の検証期間はダイヤにどう響くか、代替手段のコストは運賃や財政に跳ねないか。安全と利便、コストの均衡点をどこに置くかという古くて新しい問いが浮かぶ。
Ruterのベルント・レイタン・イェンセン取締役は、最先端の技術と最高水準の安全を両立させると強調した。EV化とデジタル化は不可逆だが、その速度に安全基準が追いつかなければ脆弱性は累積する。更新や診断の利便は裏返せば攻撃経路になり得るという逆説が、公共交通の「標準装備」を変えつつある。規制と市場の双方で、事前審査と監査、そして透明性の担保が鍵になると映る。
何を守るか、次の一手
今回のテストは、今なら間に合うというメッセージでもある。現行のバスはおおむね2016年相当の車載機能にとどまる一方、次世代では運転支援や自動化の統合度が一段と上がる。システムが高度化するほど、ひとたび侵入を許した場合の影響は広がりやすい。だからこそ、安全要件を先に固め、調達仕様に織り込む「前倒しの設計変更」が、被害を未然に防ぐ最短距離になるとみられる。
Ruterは具体策として、調達要件の強化、ローカル制御を担保する防火壁の開発、国・自治体との協働による明確なサイバー基準の策定を掲げる。メーカーの更新信号を一度受け止め、内容を検査してから車両に伝える仕組みは、可用性と安全性の折り合いを探る実装だ。要は「つながること」を前提に、つなぎ方を変える。その設計思想が、車庫から街へと広がる安心の背骨になる。
一方で、調達の多様性や国際連携の現実も視野に入る。部品・ソフトの出自が絡み合う現代のサプライチェーンで、単純な国別線引きだけでは持続性を欠く場面が出る。必要なのは、更新経路の可視化、ログと監査の常態化、脆弱性報告の迅速な開示、そして運行側が主導権を持つアーキテクチャだ。EVバスは静かに走る。その静けさの裏側で、どこまで主導権を握れるかが問われている。
