大阪大学の坂口志文氏のノーベル賞受賞が自己免疫治療の地平を拡大

大阪大学の坂口志文氏のノーベル賞受賞が自己免疫治療の地平を拡大

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2025年10月6日、ノーベル財団は生理学・医学賞を大阪大学の坂口志文特任教授に授与すると発表した。受賞理由は「周辺免疫寛容」に関する発見で、米国のメアリー・E・ブランコウ氏、フレッド・ラムズデル氏との共同受賞となった。免疫の暴走に“ブレーキ”をかける仕組みを解き明かし、自己免疫疾患やがん治療の地平を押し広げた意義が強く浮かぶ。

夜の会見に広がった笑顔

発表当日の夜、大阪大学コンベンションセンターでは共同記者会見が開かれ、坂口氏は長年支えた同僚や学生、共同研究者への感謝を静かに語った。基礎研究が社会の理解に支えられて進むこと、そして免疫の「攻撃」と「抑制」の均衡を解き明かす営みが臨床に橋を架けることを強調した姿が印象的である。会見は学内の公式チャンネルからも配信され、研究拠点としての誇りと高揚感が会場に漂った。

大阪大学の熊ノ郷淳総長は、制御性T細胞の存在と重要性を世界で初めて証明した成果が、その後の国内外の研究や医療応用を大きく押し出したと評価した。基礎から応用へつながる「粘り強い探究」のモデルケースだとし、若い研究者にとっても励みになると述べた。現場の空気には、長い時間をかけて積み上げられた検証の重みと、その先に見えてくる臨床の可能性がにじむ。

同日、ノーベル委員会は受賞者として坂口志文(大阪大学)、メアリー・E・ブランコウ(インスティテュート・フォー・システムズ・バイオロジー)、フレッド・ラムズデル(ソノマ・バイオセラピューティクス)を発表した。賞金は1100万スウェーデンクローナで、三氏で等分される。誰のための発見か——その答えは、難病に挑む現場にこそあると映る。

免疫のブレーキを見つけた軌跡

ノーベル委員会は、周辺免疫寛容の理解を一変させた三つの節目を指摘する。1995年、坂口氏は自己に対する攻撃を抑える細胞集団、制御性T細胞(Treg)を定義し、免疫に“見えないブレーキ”が存在することを示した。主流だった胸腺での選別だけでは説明できない耐性の層を示した点が重要で、逆風の中で提示された新しい見取り図が研究の流れを変えたといえる。

2001年には、ブランコウ氏とラムズデル氏が自己免疫に脆弱なマウスでFOXP3遺伝子の変異を同定し、人でも重篤な自己免疫疾患(IPEX)を引き起こすことを示した。数年を経て、坂口氏はFOXP3が制御性T細胞の発生と機能を司る決定因子であることを実証し、細胞の正体と作動原理をつなぎ合わせた。細胞像と遺伝子の回路が重なり、免疫の均衡を制御する設計図が立ち上がった瞬間である。

こうして「周辺免疫寛容」という領域が確立し、自己免疫疾患の治療、がん免疫療法の最適化、移植後合併症の回避といった臨床の課題に具体的な道筋が通った。委員会は、複数の新規治療が臨床試験段階に入りつつあると説明する。免疫を単に“強める/弱める”ではなく、必要な場所と時間で“利かせる”設計へ——医療の設計思想が転換点を迎えたとみられる。

懐疑を越えて、研究は臨床へ

抑制性の免疫細胞をめぐっては、かつて懐疑的な見方が根強かった。しかし、委員会は坂口氏が「潮流に逆らいながら」道を切り開いたと評した。仮説を急がず、徹底して実験で詰め切る姿勢が、長く続いた議論の迷路を抜け出させたと映る。結果として、学術の少数派だった視点が、いまや教科書の一章を形づくるまでに育った。

今回の三人の顔ぶれは、細胞の同定、遺伝子の特定、機能連関の証明という“役割の連携”でもある。誰に有利なのか——まずは自己免疫疾患に苦しむ患者であり、次に過剰な炎症に翻弄される臨床現場である。そして、基礎研究に継続的に投資する社会全体にとっての果実でもある。競争より協調へ、発見の物語にそんな含意がにじむ。

受賞のニュースがキャンパスに届いた夜の会見は、通過点にすぎない。これから問われるのは、治療としてどこまで“寛容”を設計できるかである。自己を守りつつ腫瘍には厳しく当たる、その微妙なダイヤルをどこまで精緻に回せるのか。坂口氏の背中から、粘り強さと検証を積み重ねる覚悟が改めて浮かび上がっている。

参考・出典

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