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北京の展示ホールは熱気を帯び、銀色のヒューマノイドが人混みをすり抜けていく。世界ロボット会議で「妊娠できるロボット」が披露された――そんな刺激的な物語が、会期とともにネット空間を駆け抜けた。だが検証が進むにつれ構図は反転し、実在の裏付けを欠く“話題先行”が浮かび上がった。人工子宮研究の現実と想像の境界を、北京の夏は容赦なく照らし出したといえる。
北京で起きたこと、起きなかったこと
世界ロボット会議は2025年8月8日から12日まで、北京市の経済技術開発区で開催された。会場には国内外の企業が並び、新製品の初披露も相次いだと伝えられる。そうした喧騒の最中、SNS上では「カイワ・テクノロジーの張奇峰博士が人工子宮を内蔵したヒューマノイドを発表し、1年以内に試作機、価格は約1万3900ドル」とする断片が拡散した。動画や生成画像めいたビジュアルが感情を煽り、見出しは加速度的に広がったと映る。
しかし、現時点で確認されている範囲では、この人物と企業の実体に関する一次情報は示されていない。8月23日には、シンガポールの南洋理工大学が「該当名義の博士取得者はおらず、同大学で妊娠ロボット研究の実施事実もない」とする回答が報じられ、物語は失速した。出展社リストや公式発表との照合でも決定的な裏付けは見当たらず、会場で“何が起きたか”以上に“何が起きなかったか”が焦点に変わったとみられる。
一方、会議そのものは例年どおり多彩な催しが組まれ、200社規模の出展や最新製品の初公開が続いた。ロボット産業の裾野が着実に広がる現場の空気は確かであり、だからこそ、検証を経ないセンセーショナルな“発表”が公式イベントの信頼を蝕みかねないという危惧も強まった。誰に有利な物語だったのか、問いが残る。
人工子宮の最前線はどこまで来ているか
誤報が剝がれ落ちても、論点は消えない。人工子宮は実在するのか。答えは「限定的に、はい」である。2017年、米フィラデルフィアの研究チームは、極端に未熟な子羊を閉鎖循環の合成羊水環境で維持し、臍帯を外部酸素化装置とつないで生理機能を保つことに成功した。胎内に近い液体環境での数週間の生育継続が示され、肺や脳の発達指標も保たれたと報告されている。
ただし、これは妊娠「後期」に相当する段階の延長支援であり、受精から出産までの全過程を代替する技術ではない。初期胚の着床に相当する現象、低酸素から高酸素へ移行する微妙な代謝変化、免疫環境の時間的ダイナミクス――それらを数カ月にわたり破綻なく再現するのは、現代の工学・生物学をもってしても難題が積み上がる。生成画像の美しさとは裏腹に、ボトルネックは地味で複雑だ。
今回の噂話が示唆した「人とロボットの相互作用で妊娠を進める」という着想も、具体的なプロトコルは示されていない。栄養供給、老廃物除去、感染制御、ホルモン様因子の投与量とタイミング、機器の冗長設計――いずれも長期の連続運転で一度の破綻も許されない。現場の専門家が慎重姿勢を崩さないのは、単なる倫理観だけでなく、技術的現実への眼差しがあるからだと映る。
拡散の速さと検証の遅さ、その先にある課題
情報が雪崩のように拡散した背景には、少子化や不妊治療への切実な思い、そして新奇なテクノロジーへの期待がある。だが、会場の熱狂を借りて架空の人物像や生成画像が現実に“侵入”すれば、必要な議論まで霞む。法制度や倫理の議論を深めるほど、一次情報と査読済み成果、そして公的機関の記録に立ち戻る作法が重要になると感じる。
人工子宮の研究は、極低出生体重児の生存と発達の改善という明確な医療目的で前進している。臨床応用の可否や手順、対象の範囲は、規制当局の審査と社会的合意に委ねられるだろう。他方で、「受精から出産まで」を掲げる装置は、現状では科学的にも制度的にも橋が架かっていない。偶然のバズではなく必然の検証で、未来の輪郭を少しずつ描くしかない。
北京で交錯した期待と現実は、ロボット工学と生命科学の接点がいかに精密な足場を要するかを教える。会議は8月の数日で終わるが、信頼は日々の積み重ねでしか育たない。次の会場で私たちが確かめるべきは、派手なビジュアルではなく、誰が、いつ、どの一次資料で、どこまで到達したのかという地味な事実だ。そこにだけ、未来へ続く道がある。
