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査察官が門前で足を止めた。国際原子力機関（IAEA）は2025年11月12日に加盟国へ回覧した非公開報告書で、6月のイラン空爆後に被害を受けた核施設への立ち入りが続かず、高濃縮ウランの在庫検証が大幅に遅れていると示した。検証の空白は核物質の所在をめぐる不確実性を広げ、外交の足場を弱くする。今回は、止まった査察の実像と数字の意味を、できる限り事実に沿ってたどる。
止まった立ち入りと遅れる検証
2025年6月13日の攻撃以降、IAEAは被害を受けなかったとされる核施設の一部に限って査察を実施した一方、損傷を受けた主要施設には入れずにきた。報告書は、対象の7施設で立ち入りが叶わず、在庫の実数確認が約5か月止まったと記す。検証の遅れは「長く未実施の査察」に当たり、状況把握の再構築を難しくするという。
IAEAは本来、申告済み核物質の転用がないと信頼性高く示すため、継続的な検証を積み上げる。報告書は「できるだけ早期の備蓄検証が極めて重要だ」と強調し、現場での点検や計測の再開を求めた。空爆で設備や電力系統が損なわれた痕跡が残るほど、検証作業は手間を増すからだ。
IAEAのラファエル・グロッシ事務局長は6月下旬、国連安保理で「核施設への攻撃は安全と保安を鋭く劣化させた」と述べ、査察の安全確保と早期の本格再開を呼びかけた。攻撃が外部への放射線影響を直ちに生まなかったとしても、現場内の化学的リスクは無視できないという認識だ。
数字が語る緊張の度合い
IAEAは空爆前、イランが濃縮度60％の高濃縮ウラン（HEU）を400kg超保有していると把握していた。これは核兵器級に近い数値だが、当時は包括的保障措置（核物質の転用を防ぐための国際的な監視枠組み）の下で申告・封印・計測の対象にあった。問題は、その在庫が攻撃後も全量、平和目的にとどまっているかを検証できない点にある。
報告書は、60％の在庫規模が理論上「核爆発装置10発分」に相当し得ると注意喚起する。ただし、兵器化には濃縮度をおよそ90％まで高める工程や、起爆装置・弾頭化など技術的ハードルが伴う。数字が示すのは直ちに武器保有という結論ではなく、検証が空白のままでは不信と誤算が膨らむという現実である。
60％濃縮とは、ウラン中のU235同位体比率を60％程度まで高めた状態を指す。原子炉燃料で一般的な3〜5％より高く、兵器級の90％には達しないが、追加の濃縮工程で到達し得る“手前の段階”と理解するとよい。だからこそ、在庫の実量・所在・密封状態を定期的に確かめる検証が、緊張の緩衝材として機能する。
揺れた合意、再構築の難しさ
9月にIAEAとイランは全面的な査察再開へ向け基本合意に達したが、その後にイラン側が履行停止を表明し、道筋は揺れた。IAEAは未被害の一部施設で確認を続けつつ、被害7施設での「長く遅れた」立ち入りの必要性を繰り返し訴える。現場訪問や在庫の再点検が再開できなければ、物質の所在と量の確証は薄いままだ。
保障措置の要は、物質台帳と現物の「突き合わせ」にある。封印や計測器のログ、サンプル分析などを積み重ね、どこに何がどれだけあるかを一次情報で復元する作業だ。攻撃や停止期間が長いほど、機器交換や流出の可能性を一つ一つ潰す必要が生じ、検証にかかる時間と労力は増えていく。
静かな作業の積み重ねが、政治の熱を冷ます唯一の道具になる時がある。検証の歯車が再び噛み合えば、緊張の輪郭は少しずつ薄れていくだろう。
