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今年8月に神戸市中央区のマンションで起きたエレベーター内刺殺事件について、殺人などの容疑で送検されていた谷本将志容疑者(36)を、神戸地検が近く起訴する方針を固めた。約3か月にわたる精神鑑定の結果、刑事責任能力を問えると判断したとみられる。容疑者は事件当日に神戸市内でナイフを購入し、「エレベーターで叫ばれたので刺した」といった趣旨の供述もしていることが新たに判明した。見知らぬ相手を狙った凶行は、オートロック付き住宅に住む人びとの不安と、「責任能力」をどう捉えるかという重い問いを突き付けている。
エレベーターでの凶行が残した、暮らしの不安
事件は8月20日夜、神戸市中央区のオートロック付きマンションで起きた。24歳の会社員女性がエレベーターで胸などを複数回刺され、失血死したと報じられている。女性は仕事帰りに郵便局やスーパーに立ち寄った後、自宅に戻る途中で襲われたとみられ、日常の延長線上で命を奪われた形だ。
防犯カメラの映像などから、容疑者は女性の勤務先周辺のホテルに滞在し、帰宅経路を約50分にわたり追跡していたと各社は伝えている。エントランスでは、女性のすぐ後ろから自動ドアをすり抜けて侵入し、エレベーター内で刃物を振るったとされる。見知らぬ人物に長時間つきまとわれた末に襲われるという構図は、「顔見知りのトラブル」とは異なる恐怖を地域社会に与えている。
事件後、現場周辺の住民からは「オートロックでも安心できない」といった声が相次いだと報道されてきた。エレベーターという閉ざされた空間での犯行は、同様の設備を持つ集合住宅に暮らす多くの人に、「自分の家に帰るまでのわずかな時間さえ安全と言い切れないのではないか」という不安を呼び起こす。当事者でなくとも、日々同じような帰宅ルートをたどる人にとって、事件は生活感覚に近い場所で起きた出来事として重く響いている。
精神鑑定後も「責任能力あり」 検察が重く見た点
谷本容疑者は逮捕後、殺人容疑に加え、事件2日前から複数回にわたり女性を後追いしたストーカー規制法違反の疑い、オートロックをすり抜けてマンションに入った邸宅侵入容疑、凶器とみられるナイフの所持に関する銃刀法違反容疑でも送検されている。神戸地検は9月8日から約3か月間、精神状態を調べる鑑定留置を行い、その結果を踏まえて起訴の方針を固めた。
捜査関係者への取材によれば、検察は事件当時も是非を判断し行動をコントロールできる程度の能力があったとみているとされる。事件当日に神戸市内でナイフを購入していたことや、エレベーターで悲鳴を上げられたことをきっかけに刺したと説明している点などから、少なくとも一定の準備性や状況判断があったと判断した可能性がある。こうした経緯は、精神鑑定を受けていても刑事責任が免除されるわけではない現行制度の枠組みを、改めて浮き彫りにしている。
一方で、過去にも女性への暴力で裁判を受けていたとする報道もあり、専門家からは「思考のゆがみ」や再犯リスクをどう評価し、社会の中でフォローしていくかという課題が指摘されてきた。今回、責任能力が認められる方向で起訴されれば、量刑判断の中でこうした背景がどう位置づけられるのかも焦点となる。判決は個人の責任を確定させる場であると同時に、再犯防止策のあり方を社会が考える契機にもなり得る。
ストーカー犯罪増加の中で、何を備えられるか
見知らぬ相手を長時間追跡し、自宅マンションまで押しかける今回のような事案は、ストーカー規制法が想定する「つきまとい等」の典型例でもある。警察庁の統計では、ストーカー規制法違反の検挙件数は2024年に1341件と過去最多を更新し、禁止命令も初めて2000件を超えた。恋愛感情に限らず、一方的な好意やゆがんだ執着が重大事件に発展するリスクは、全国的に高まりつつある。
警察や政府機関は、被害の兆候がある段階で相談してほしいと呼びかけている。政府広報や各都道府県警のサイトでは、尾行や待ち伏せ、勤務先周辺の徘徊といった行為が繰り返される場合、ストーカー規制法の対象になり得ると説明し、110番や警察相談専用電話、専門窓口への連絡を促している。身近な人が不審なつきまといに悩んでいると感じたとき、周囲が早めに相談を勧めることも、被害拡大を防ぐ一つの手立てだ。
一方で、加害者側へのカウンセリングや医療的支援は、まだ十分とは言いがたい。ストーカー事案の多くで、警察が治療を勧めても受診を拒む例が続いているとの分析もある。刑事責任を問うことと並行して、執着やゆがんだ思考をどう修正し、再び誰かを追い詰める行為に走らせないかという視点が欠かせない。神戸の事件は、被害者の理不尽な犠牲と向き合うと同時に、司法・医療・地域がそれぞれの持ち場でどこまで踏み込めるのかを問い続けている。
