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夜明け前の港に、持ち上がった岸壁の継ぎ目がまだ白い。昨年1月の能登半島地震を生んだ地下で、冷えて固まった「古マグマ」の塊が鍵を握っていた可能性が高いと、東北大の研究チームが示した。群発地震の広がりをせき止めていた“壁”が、最後には大地震の破壊の中心へと姿を変えたという。成果は16日に米科学誌で公表される見通しだ。地震の起点を描き直す一歩が見えてきた。
地下の「固い塊」が、揺れの進み方を変えた
研究チームは本震直前、震源域の周辺に高密度の観測網を設置し、海の波がつくるかすかな揺れまで拾う解析を実施した。そこで見えたのは、震源付近で地震波が周囲より速く伝わる「高速度体」である。現時点で確認されている範囲では、これは1500万年以上前に深部から上がったマグマが冷えてできた硬い岩盤、いわば古マグマの塊とみられる。
群発地震が広がっていた時期、この古マグマは地下を移動する流体を遮る壁として働き、外側では地震が頻発する一方で、内部や境界にはひずみが蓄えられていったと研究チームは描く。古い岩体が「守った」範囲と「溜めた」ひずみのコントラストが、後の破壊の布石になったと映る。
断層破壊は、古マグマの東側にある比較的やわらかい岩盤で静かに滑り始め、じわじわと西へとにじむように広がった。やがて固い古マグマ内部に長く固着していた断層面へ到達し、強く結び付いた「固着域」を一気に破った。この転機を境に破壊は加速し、大地震へと化したとみられる。半島北岸の顕著な地盤隆起は、この過程と対応する可能性が高い。
群発から本震へ――“壁”が引き金に変わるまで
能登半島では2020年ごろから群発地震が続き、本震はその延長線上で起きた。流体の上昇が発火点だったとの見方はこれまでもあったが、古マグマという高速度体の存在が、群発の広がりを食い止める一方でひずみを溜め込む「二面性」を持っていたという描像は新しい。壁の外で起きた小さな滑りが、やがて壁の内側へと侵入し、反転して破壊の中心になる転調が浮かぶ。
断層破壊は長さ約150キロに及び、離れた半島西部でも大きな隆起が確認された。研究チームは西部の地下にも古マグマに相当する構造が見えているとする。複数の硬い塊が地域の断層網に「節」として組み込まれ、群発と本震の関係を左右した可能性がある。既往研究が指摘してきた複雑な断層幾何や強いアスペリティの存在とも整合的で、複数の要因が噛み合った像が広がっている。
東北大のチームは、観測で得た速度構造と地表変動の整合性を突き合わせながら、古マグマの「壁」が崩れる臨界の瞬間を描いた。群発期には流体が壁の外側で断層を滑りやすくし、本震直前にはゆっくり滑りが壁へとにじむ。そこで長期固着域が破断し、急速破壊が動き出す。観測事実をもとに繋いだこの連鎖は、今後の評価法に直結する。
数字が語る輪郭と、これからの見立て
能登半島地震は2024年1月1日 16:10ごろに発生し、規模はM7クラスであった。群発は3年以上にわたり、震源域の断層破壊はおおむね南西―北東方向へ約150キロに及んだとされる。半島北岸では顕著な隆起が観測され、遠く離れた西部でも大きな隆起が記録された。こうした広がりは、地下の固い塊とやわらかい岩盤、そして流体の動きが織りなす力学が反映された結果と読める。
国内では今年に入り、トカラ列島や山口県北部などでも群発地震が続いた。今回の成果は、群発が本震へと転じる可能性の見積もりに直結する。高密度観測で地下の高速度体や固着域を素描し、流体の行き先と応力の偏りを早期に捉える。発生確率を言い当てる魔法はないが、どこでスイッチが入るかを「構造」から見極める手がかりは増える。観測と解析の更新が、地域の備えを変えていく。