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静まり返った投票所に制服姿の列が伸びていた。2025年10月29日に実施されたタンザニアの大統領選と議会選について、南部アフリカ開発共同体の選挙監視団（SEOM）は11月3日、「多くの地域で有権者が民主的な意思を表明できなかった」と暫定報告で断じた。威圧の空気と検閲、そして主要野党の不在。選挙の正当性をめぐる重い余韻が残る。
観測団が見た「声の出しづらさ」
SEOMの団長リチャード・ムソウォヤ氏は、暫定報告で「暫定的な結論として、多くの地域で有権者は民主的な意思を表明できなかった」と述べた。報告は、投票前後の政治的緊張と威圧的な雰囲気、オンライン情報空間への厳しい制限を指摘し、表現の自由に対する露骨かつ隠密の両面での抑圧が広がっていたと描写した。観測団は選挙制度全体の改善を求め、司法救済の拡充や独立候補の容認など制度改革を促したとされる。
投票日の現場観察では、秩序立った運営が見られた一方で、治安要員の存在感が際立ったという。報告は「一部の投票所では投票者より警察官の数が多かった」と記したほか、投票中の投票箱内に整然と積み重なった多数の投票用紙が確認され、水増しの印象を与えたとする記述もある。結果と手続きの双方で、市民の「声」が届きにくい環境が浮かぶ。
SEOMは加盟10か国から派遣された観測員をタンザニア本土とザンジバルの広範な地域に配置した。SADCは事前に「31地域のうち27地域に展開する」と明らかにしており、広域の監視体制を敷いたとみられる。選挙の評価はあくまで暫定だが、地域機構としての基準に照らし「自由で公正」とは言い難いとの見立てを初報で示した形である。
数字が語る圧勝と、その裏側
一方、数字は圧勝を伝える。選挙管理当局の集計発表は11月1日に行われ、現職のサミア・スルフ・ハッサン氏が得票率約98％で大差を付けたと報じられた。ハッサン氏は11月3日に就任し、団結を呼びかけた。ただ、主要野党の有力候補が出馬できなかった経緯が重く、勝利の意味は単純な多数の論理に還元できないと映る。
投票率をめぐっても溝がある。SEOMの現場観察は人々の足が鈍った様子を伝えるが、選挙管理側は投票率約87％を主張していると報じられている。統計の受け止めは真っ二つで、制度の信頼と実感の乖離が可視化された格好だ。数字そのものよりも、数字を支える手続きと環境が問われている。
今回の選挙は、ハッサン氏が掲げる開発路線の継続と安定を示す一方で、政治的競争の公正さという民主主義の芯を揺らした。圧倒的得票と厳しい国際評価の同居は、選挙が「結果」だけでなく「過程」でも評価される時代であることを改めて示す。
街に残る傷跡、続く問い
投開票後、各地で抗議が広がり衝突が発生した。野党側は犠牲者が数百人規模に上ると主張する一方、国連人権高等弁務官事務所は少なくとも10人の死亡を確認したと明かし、独立した検証を促している。複数の都市でインターネット遮断や外出制限が断続的に行われ、公共サービスや通商にも影が差したと伝えられる。
政府は秩序維持を強調し、批判には内政干渉だと反発する姿勢を見せる。SEOMは一連の不整合を指摘したが、法的異議申し立ての道筋は限られ、強い統治の正当性はなお議論の最中にある。静まり返った投票所の空気は消え、今は重たい沈黙が街路に漂う。次の一票に、どれだけの「自由」が戻るのか。答えは容易でないが、地域と国際社会の注視は続く。
