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署名台の前でトランプ米大統領がペンを走らせたのは、2025年11月24日の午後だった。大統領令の題名は「ジェネシスミッション」。人工知能（AI）を総動員し、連邦政府が抱える膨大な科学データを1つの統合プラットフォームに集める国家プロジェクトだ。エネルギー省や国立研究所の研究者、ホワイトハウスの科学技術スタッフが見守る中、科学研究の進め方そのものを作り替える計画が静かに動き出した。
AIが扱うのは「政府の科学データ」 ジェネシスミッションのねらい
今回の大統領令は、連邦政府が所有する科学データをAIの訓練に本格的に使うことを柱とする。プロジェクト名のジェネシスミッションには、そのデータで「科学的基礎モデル」を育て、新しい仮説の検証や研究ワークフローの自動化を進める狙いが込められている。基礎モデルとは、大量のデータから学習し、さまざまなタスクに転用できる汎用AIの土台となるモデルのことだ。これを科学研究専用に作り込むことで、論文検索や実験計画の設計、結果分析までを支援するAIエージェントの開発を目指す。
ホワイトハウスは、この取り組みを第二次世界大戦期のマンハッタン計画になぞらえるほどの国家的挑戦と位置づける。大統領令では、スーパーコンピューターと独自データを結びつけた「閉ループ型のAI実験プラットフォーム」の構築が明記され、将来はロボット実験室とも連携させる構想だ。クラツィオス科学技術政策局長は、連邦政府が長年蓄えてきたデータを開放することで、科学の進み方を「桁違いの速度」に変えたいと説明している。
エネルギー省と国立研究所が担う中枢 民間AI投資との橋渡し
ジェネシスミッションの中枢を担うのはエネルギー省と米国立研究所だ。大統領は両者に対し、「最も優秀な頭脳、最も強力なコンピューター、膨大な科学データを研究のための1つの協力システムに統合せよ」と指示した。これに基づき、エネルギー省は全米のスーパーコンピューター群とデータセットを結びつけ、科学向け基礎モデルを生み出すAI実験プラットフォームを構築する。ここには、気候、エネルギー、材料、生命科学など各研究所が蓄積してきた専門データが持ち寄られる見通しだ。
ライト・エネルギー長官は、近年の民間による巨額のAI投資に触れながら、政府はその勢いを「科学的発見や工学の進歩に焦点を合わせる方向に導きたい」と語る。そのために欠かせないのが国立研究所のデータだという。ホワイトハウスの事実説明文によれば、エネルギー省だけでも世界有数の計算資源とユニークな実験設備を抱えており、これらを開発中のAIと結びつけることで、民間単独では難しい基礎科学の課題に取り組む構図を描いている。産業界とは、アカデミアやスタートアップを含む形で連携を図る方針だ。
重点分野はバイオから量子まで 安全保障と競争力をかけたAI競争
大統領令が重点分野として挙げたのは、バイオテクノロジー、重要鉱物、核分裂と核融合エネルギー、宇宙探査、量子情報科学、半導体やマイクロエレクトロニクスなどだ。いずれも国家安全保障や経済安全保障、医療・健康に直結する領域であり、国際的な技術競争が激しい。例えば重要鉱物は、電気自動車用電池や電子機器の生産に欠かせず、供給網の不安定さがたびたび問題となってきた。量子情報や先端半導体は、暗号通信や高性能計算を支える戦略技術として各国が開発を急いでいる。
トランプ政権はこれまでもAI教育の拡充や、AIインフラ整備、医療分野でのAI活用などに関する大統領令を相次いで出してきた。今回のジェネシスミッションは、その中でも特に「科学の生産性」そのものを引き上げることに焦点を当てている点が特徴だ。研究予算は増えても成果の伸びが鈍いという問題意識のもと、実験や解析に費やされる時間をAIが肩代わりし、研究者が発想や検証の質により多くの力を割ける環境を整えようとしている。静かな署名の瞬間から、長期にわたる科学と社会の変化が見据えられている。
