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日朝首脳会談(2002年9月)で小泉純一郎首相が北朝鮮の金正日総書記に、対米英での対決は勝ち目がないとして協調を求めたことが、2025年12月30日に英国側が公開した公文書で明らかになった。小泉氏は、日本が米英との戦争に敗れた歴史も引き合いに出し、非核化へ踏み込むよう説得したという。拉致問題の陰で、核をめぐる働きかけも同時進行していた点が浮かぶ。
「拉致の会談」だけではなかった、核をめぐる働きかけ
公開文書は、小泉氏が英国のブレア首相と2003年7月19日に箱根町で会談した際、前年の平壌でのやりとりを英側に説明した内容を含む。小泉氏は、戦後の日本が米英と関係を築き直した経緯を示し、北朝鮮も国際社会と協調できるはずだと促したとされる。慶応大の礒崎敦仁教授は、拉致だけでなく核問題でも日本が主導的役割を果たそうとした資料だと評価している。
日朝首脳会談は、拉致を北朝鮮が認めたことが大きく報じられ、国交正常化交渉の再開でも合意した。一方で当時から、核やミサイルを含む安全保障は交渉の重要テーマだった。今回の文書は、小泉氏が首脳会談の場で「軍事的な押し合い」より「関係の作り替え」を前面に出し、核開発の疑惑が取り沙汰されていた段階で、説得の筋道を探っていたことを補強する。
公文書が映す「橋渡し」の難しさと、残る選択肢
読みどころは、説得の相手が金正日氏にとどまらない点だ。小泉氏は英側にも説明し、米英を含む国際協調へ北朝鮮を引き込む道筋を共有しようとした。ここには、拉致の解決を急ぐ日本の国内事情と、核・ミサイルをめぐる地域の緊張管理を切り離さずに扱う発想がある。ただ、説得の材料が歴史の教訓であるほど、相手の受け取り方に左右されやすいというトレードオフも残る。
現実には、その後も北朝鮮の核問題は解決に至っていない。だからこそ、公文書が示すのは「うまくいかなかった交渉術」ではなく、当時の日本が同盟国と足並みをそろえつつ、対話の回路を残そうとした具体の手つきである。制裁と対話の配分、拉致と安全保障の優先順位、協議の枠組みをどう組み直すか。現在の政策判断にとっても、過去の説明責任を支える一次資料になり得る。
参考・出典
- 小泉氏、戦争「無謀」非核化促す 02年日朝会談、英公文書で判明 – ライブドアニュース
- Latest release of Cabinet Office and Prime Ministers’ papers – The National Archives
- RIETI – 日朝首脳会談をどうみるか、今後の進み方
- 日朝首脳が初会談/国交正常化交渉再開で合意/金総書記、拉致の事実認める/小泉首相 植民地支配で反省とおわび
- Blair’s government discussed how to influence John Howard to commit Australian troops to Iraq
