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議場にざわめきが戻ったのは、掲示板の数字が固まった直後だった。2025年10月16日、フランス国民議会はルコルニュ首相に対する2本の不信任動議をいずれも否決した。首相は2023年の年金改革の適用停止を打ち出し、社会党の一部支持を取り付けて難局をしのいだ格好だ。行政府の延命と引き換えに、財政と年金の「次の一手」が国会交渉のど真ん中に据わる展開となった。
不信任は不発、年金改革の停止で流れを引き寄せる
最初に採決されたのは急進左派「不服従のフランス（LFI）」が提出した不信任動議で、賛成は271票にとどまり可決に必要な289票へ届かなかった。続く極右「国民連合（RN）」の動議も否決され、政権は連続する試練をひとまずくぐり抜けた。数字が物語るのは、過半の壁は厚いが、与党側の離反が連鎖するほどの致命傷には至っていない現実である。
勝敗を分けたのは年金改革の扱いだった。首相は週内に、定年年齢を62歳から64歳へ段階引き上げる2023年の改革について、適用停止に踏み込む姿勢を示した。反対派が最大の争点としてきた「64歳」が当面棚上げされることで、社会党は今回の不信任には与しない立場へ傾いたとみられる。年金の先送りは、マクロン政権の象徴政策を自ら封印する判断でもある。
もっとも、支持の引き換えに白紙委任はない。国民議会の社会党議員は「今回の不信任に乗らない決定は、いかなる取引でもない」と釘を刺し、今後の法案審議でさらなる譲歩を迫る構えを見せた。左派だけではない。右派や極右も「延命に過ぎない」と攻勢を強め、政権の足元に不安定さが残る。否決は「終わり」ではなく、「次章の始まり」と映る。
市場は落ち着き、次の正念場は2026年予算
連続否決の直後、フランス国債市場は大きな波乱に至らず、投資家が想定していた展開だったことをうかがわせた。政治リスクが一段と広がる事態は避けられ、短期的な資金調達環境の悪化も回避された格好だ。だが、安心は長続きしない。市場が次に測るのは、先送りとなった年金改革の行方と、財政再建の現実性である。
首相が国会に示した2026年予算の骨格は、歳出の見直しなどで300億ユーロ超の削減を掲げ、財政赤字を今年見込みの国内総生産比5.4％から4.7％へ縮減する青写真だ。年金改革の停止は政治的には火種を和らげるが、財政面では代替策の提示が欠かせない。削減の内訳や時期、税制の見直しをめぐって、与野党の綱引きが激しくなる構図が浮かぶ。
審議の主戦場はこれからだ。財務委員会での議論を皮切りに、歳出の優先順位や富裕層課税の是非まで、多くの論点が絡み合う。議場では「本当の戦いは予算から始まる」との声も上がった。否決という「小休止」を経て、政府は一歩踏み出すごとに足元を確かめる綱渡りを続けるほかない。市場の落ち着きも、合意形成の行方次第で揺らぎかねない。
看板政策の封印と、政権の交渉力
年金改革は、マクロン大統領の国内政策の看板であった。労働参加の底上げと中期的な持続可能性を掲げ、法定年齢を2030年までに64歳へ引き上げる内容は、欧州の標準に近づける狙いがあった。今回の停止表明は、その看板を自ら覆う選択であり、代替となる成長戦略や歳入策の提示が必須となる。与党少数のなか、政権の交渉力が試される局面が続く。
一方、野党は勝ち得た影響力を梃子に次の条件闘争に臨む。左派は社会的弱者への配慮と富裕層への課税強化を求め、右派は歳出の一段の効率化を迫る。国民議会の議長は「予算を成し遂げる多数派は存在する」と前向きな見方を示したが、連立の糊は厚くない。妥協の積み重ねが政策の一貫性を損なう懸念も、しぶとく残っている。
否決という結果は、政権の「延命」を意味しつつも、政治的・財政的な代償の支払いを先送りしただけとも映る。年金を巡る「64歳」の重みは消えていない。国会はこれから、歳出削減の現実解と社会的合意の接点を探る長い交渉に入る。フランス政治が抱える分断と少数与党のリスクは、秋の予算編成を通じて一段と露わになるだろう。
