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夜明け前の水平線に、白い航跡が細く伸びていた。台湾が実効支配する東沙諸島の沖で、中国の海警局の船や油ガス関連の構造物が存在感を増している。段階的に小さな変化を積み上げ、現場の秩序を書き換える「サラミスライス」が、頼清徳政権の神経をじわりと削っているとみられる。東アジアの海の緊張が、静かに濃さを増している。
潮目が変わる東沙の海
波間を縫うように、海警局「3102」の船影が制限水域へと向かった。台湾海巡署によれば、2025年10月2日 06:50、東沙島の北西沖で中国海警船を探知し、07:05に制限水域への進入を確認した。その後、海巡の「台北艦」が併航監視と広報で退去を促し、翌3日 13:02には北上して水域を離れたとされる。海域の空気感が一段と張りつめた時間帯である。
同じ海域では、9月30日にも「3103」「3105」の2隻が接近していたことが確認されている。月をまたいで船名を伴う連続事案が並ぶと、単発の示威ではなく、動線の「定常化」を狙う意図が浮かぶ。現時点で確認されている範囲では、進入・接近・離脱という一連の所作が、海図上の線を試すように繰り返されていると映る。
東沙は台湾本島から遠く離れ、悪天候時には補給が細る離島である。そこでの対応は、限られた人員と艦艇を薄く広く配し続ける消耗戦につながりやすい。現場の隊員は、昼夜を分かたず既成事実の積み増しに目を凝らす。小さな変化の集積が、やがて「変わってしまった現状」と呼ばれることを、誰より警戒しているからだ。
油ガス構造物が刻む「小さな既成事実」
陸からは見えない海面下でも、様相は変わりつつある。米調査機関の報告が9月2日に公表され、東沙諸島に近い台湾の主張する排他的経済水域内に、中国海洋石油集団（CNOOC）の油ガス関連構造物が計12基確認された。固定式の「ジャケット」や半潜水式リグ、原油の貯蔵・処理を担うFPSOまで並び、周辺には支援船が往来する光景が描かれている。
報告は、これらの構造物が商業活動の衣をまといながら、監視や通信の拠点へ転用されうる点を指摘した。7月以降、半潜水式リグ「南海二号」は制限水域の外縁へ約数十マイルまで接近し、過去には数百メートルに迫った事例もあるという。新たな「点」が増えるたび、海と空のセンサー網は濃くなり、平時の態勢が非常時の準備に近づく構図が滲む。
構造物は撤去にコストがかかり、放置すれば存在自体が「当たり前」になる。海の上でそれは強い。係留索一本、プラットフォーム一基が、法と現実の距離を縮めていく。現時点で確認されている範囲では、東沙の周囲で民間と軍事の境界を曖昧にする積み木が重ねられ、台湾側のオペレーションに継続的な負担を強いているとみられる。
主張の綱引きと台湾の負担
言葉の応酬も熱を帯びる。中国政府は、南シナ海の島嶼と周辺海域に主権が及ぶと繰り返し強調し、2016年の仲裁判断の効力を正面から否定してきた。2025年7月12日には外務省の報道応答で、その立場を改めて示し、いかなる主張や行動も受け入れないと突っぱねた。主権をめぐる根本認識の差が、現場の摩擦を固くする。
一方、東沙の空と海では、航跡という事実が積み上がる。10月初旬の接近・進入の連鎖は、地図の余白に細い鉛筆線を引き直す作業に似ている。台湾側は都度、併航監視や広報で対処し、外縁を守る構えを崩していないが、長丁場になればなるほど、人と艦の配分は厳しくなる。細い線を太くしないうちに、どこで切り返すかが問われる。
頼清徳政権に対し、中国は直接の軍事衝突を避けつつ圧力を増す手法を重ねる。サラミを薄く切る一枚一枚は小さいが、束ねれば重い。離島の緊張は本島の計算に跳ね返り、域内の同盟・準同盟に連鎖する。東沙の海面に立つ白い飛沫は、遠い出来事ではない。次の一手を誤れば、静かな海が一気に荒れる予感がある。
