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ベルリンの空に薄日が差した昼下がり、首相官邸前には「メルツ、内燃機関の禁止に手をつけろ！」と書かれた横断幕が揺れていた。2025年10月9日、メルツ首相は自動車大手の幹部と会合後に記者会見し、欧州連合が掲げる2035年の内燃車新車販売原則禁止を導入させないため「あらゆる措置」を講じる考えを強調した。EUの脱炭素ロードマップに正面から異議を唱える発言であり、独産業の針路と市民の移動手段に波紋が広がっている。
メルツ発言が射すもの
会見は、欧州メーカーが中国勢との競争激化に直面するなかで行われた。メルツ氏は、産業が規制に適応するには時間が必要だと指摘し、2035年の全面的な内燃車の幕引きには現実味が乏しいとの見方を示したとみられる。官邸前で掲げられた横断幕は、規制の見直しを求める切実な声と、過渡期の苛立ちを象徴しているように映る。市場の混乱を避けつつ排出削減をどう進めるか、政治と産業の間で綱引きが強まっている。
一方で、電気自動車への移行自体は止めないという含みもにじむ。内燃車の存続を求めるだけではなく、移動の脱炭素を社会全体で負担する設計に改めるべきだという含意が読み取れるからだ。とりわけ中低所得層の負担感は重い。急な基準変更は購買行動を冷やし、国内サプライチェーンの投資判断も鈍らせる。政治の言葉が示すのは、産業空洞化への警戒と気候目標の均衡を探る姿勢である。
EUが描く2035年の着地点
EUが目指す着地点は明快だ。欧州議会は2023年2月14日、乗用車と小型商用車の新車について2035年にCO2排出を実質ゼロにする目標を承認した。2030年の中間目標も設定され、乗用車で2021年比55%減、小型商用車で50%減が掲げられている。議場では賛成340、反対279、棄権21という拮抗した票が並び、産業構造に直結する重い選択だったことがうかがえる。道筋は政治の合意として既に定まり、各国は実装段階へ入ったと映る。
制度面の手当ても続く。2025年までに車両のライフサイクル全体でのCO2評価手法を示すこと、2026年12月までに型式認証の上限と実走行の燃費・電費の乖離を監視し、必要に応じて追補措置を講じることが盛り込まれている。小規模メーカーへの猶予やゼロ・低排出車の販売促進メカニズムの見直しも明記された。規則は段階的に市場を誘導し、過度なショックを避けながら排出削減を底上げする設計思想である。
もっとも、内燃機関の余地をどう取り扱うかという政治的な争点は残る。現時点で確認されている範囲では、欧州法は「新車の2035年ゼロ」を大枠に据えつつ、技術の進展やデータの検証結果に応じて見直すためのレビューを重ねる構造を持つ。メルツ氏の主張は、そのレビューのタイミングや適用範囲を前倒しで問い直す提案と重なる。規制の理念と運用の現実、その狭間を誰が埋めるのかが次の焦点になる。
揺れる産業と市民の足元
現場の温度差は大きい。サプライヤーは投資先を電動化部材に切り替えつつあるが、内燃部品の雇用を抱える地域では不安が強い。自動車各社は採算が読みやすい高価格帯のEVから攻めるが、量を捌く大衆車市場では価格と充電網の整備が壁になる。内燃の延命を求める声は、単に過去の延長線を願うというより、移行のコスト配分を練り直せという社会的な要請に近い。産業政策と福祉政策の接点が問われている。
メルツ氏が「時間が必要だ」と強調した背景には、企業の開発サイクルと消費者の買い替えサイクルのずれがある。規制は長期の予見可能性をもたらす一方で、景気後退局面やエネルギー価格の変動が重なると、計画は脆くなる。EVの普及を促すにしても、所得層ごとの実効負担を踏まえた支援設計が欠かせない。移行の速度と公平性をどう両立させるか。ベルリンの風景に滲む緊張は、欧州全体の問いへと重なる。
