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北極圏の海は静かに見えて、音だけが走る。ロシア北西部バレンツ海で、敵艦のわずかな動きを拾う海中監視網「ハーモニー」に、日本企業の製品が組み込まれた疑いが浮上した。2025年10月23日、国際調査報道ジャーナリスト連合（ICIJ）の入手文書に基づく共同取材で、NEC製の海底通信ケーブルがロシア軍に転用された可能性が報じられた。外為法との関係や日本政府の対応を含め、経済安全保障の最前線がにわかにあらわになっている。
バレンツ海の監視網と「750キロ」の意味
バレンツ海に張り巡らされた「ハーモニー」は、潜水艦の航路に耳を澄ます網だとされる。海中に敷設した光ファイバで振動や音を拾い、敵国艦船の動きを追う構造が浮かぶ。現時点で確認されている範囲では、日米欧の報道機関による合同取材が、ロシアの調達網に日本企業の部材が流れ込んだ可能性を指摘した。北極圏の静寂に、経済と安全保障が重なる。
報道によれば、NECは2018年、キプロスの民間企業に海底通信ケーブルを売却した。長さは約750キロメートルとされ、のちにロシア側の海中監視網構築に流用された疑いがあるという。一部報道では、当該企業はロシア国防省に近い「モストレロ・コマーシャル」とされ、ICIJが入手した会計事務所文書が手掛かりになったと伝えられている。数字が示すのは、単なる物量ではなく、軍事システムの神経としての重みである。
NECは2018年の販売事実を認めつつ「軍事利用されるとは考えていなかった」と説明したと報じられている。海底ケーブルは本来、国際通信の背骨だ。メーカーは民生・インフラ用途を前提に供給するのが常で、最終需要者や用途が偽装されれば、メーカー側の想定を超えて軍事転用が進む恐れがある。現場の海は静かでも、企業の供給網では緊張が高まっていると映る。
外為法の壁、日本政府の判断はどこへ向かうか
海底ケーブルの輸出には日本政府の許可が必要である。最終需要者や使用目的が実態と異なれば、外為法に抵触し得る。今回の事案では、表向きの用途と実際の軍事利用が乖離していた疑いが報じられ、経済産業省がNECに対して外為法に基づく行政処分や行政指導に踏み切る可能性があるとされる。処分の有無は、企業のコンプライアンスだけでなく、政府の審査プロセスの実効性も問う局面となる。
一方で、輸出管理は申請書面と審査情報に依拠する以上、巧妙な隠れ蓑には限界がある。国際的な調達網の実態解明や、再輸出・迂回取引の把握には、政府間での情報共有や、メーカー自身のエンドユーザー確認の強化が欠かせない。ICIJが示したとされるキプロス経由の経路は、第三国を経た「見えにくい」流れを映す。制度の網を細かくし、現場の検知能力を上げる両輪が必要だとみられる。
NECは海底ケーブル分野で長年の実績を持ち、国際通信インフラのキープレイヤーである。その存在感ゆえに、信頼性の担保は一段と重い。企業は追加の内部調査や再発防止策を示し、政府は事実関係の確認と適切な対応を段階的に明らかにすることが求められる。経済と安全保障が交差する時代、透明性の確保こそが市場と国際社会の信頼を支える要だと映る。
広がる波紋、サプライチェーンの次の一手
今回の疑惑は一企業や一案件にとどまらない。海底ケーブルは国際通信の99％を担い、風力や電力の海底送電でも重要部材だ。民生と軍事の境界が溶ける中、デュアルユースの管理は一段と難しくなる。用途限定条項の強化、エンドユーザーへの追跡条項、第三国経由の再輸出規制など、サプライチェーンに沿ったきめ細かな手当てが不可欠になっている。
他方、過度な規制は正規のインフラ整備を遅らせ、地域のデジタル格差を広げかねない。日本企業の技術と供給力を活かしつつ、透明性と説明責任を高めることで、国際社会の信頼を取り戻す道筋は描けるはずだ。NECを含む業界各社は、政府・海外パートナーと連動して、調達先や用途の監査能力を引き上げる必要がある。経済安全保障の取り組みは、事後対応から予防へと舵を切る段階に入ったといえる。
白夜の海で揺れる細い線は、世界の通信と安全保障をつなぐ命綱でもある。疑惑の全容はなお捜査と検証の途上にあるが、私たちが問われているのは、製品を「どこへ」「何のために」届けるのかという原点だ。今回の報道が、制度と実務の両面を磨き直す契機になるのか。次の一手を見誤れば、その細い線は脆く切れる。
