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日本の植民地支配下で立ち上がった台湾先住民を描く台湾映画「セデック・バレ」が、12月に中国本土で再上映される。高市早苗首相の台湾有事をめぐる発言に反発する習近平政権は、日本批判の宣伝を強めており、この作品も「台湾も日本と戦った」という物語を補強する材料として扱われつつある。歴史映画を通じて、台湾と日本、そして中国の関係がどう描き直されようとしているのかが問われている。
中国の観客に届く「台湾も抗日」という物語
「セデック・バレ」は、1930年の霧社事件で台湾中部のセデック族が日本の植民地支配に反乱を起こした史実をもとにした作品だ。オンライン百科事典ウィキペディアによれば、酋長モナ・ルダオが約300人の戦士を率い、圧倒的に優位な日本の警察・軍に対して決起する姿を描く。台湾では2011年公開時に興行収入の記録を塗り替え、先住民の歴史や文化への関心を呼び起こしたとされる。
今回、中国でのリバイバル公開は、日本と台湾をめぐる緊張が高まる只中で行われる。中国当局は広報上、台湾の先住民を「中華民族の一員」と位置づけ、日本に対する共通の犠牲者として強調するとみられる。中国国内ではすでに抗日戦争をテーマにしたドラマや映画が大量に制作されており、そこに「台湾も一緒に戦った」という新たなピースをはめ込む狙いだ。
一方で、この映画を最初に受け止めた台湾社会では、意味づけが異なる。英字紙タイペイ・タイムズは公開当時、作品の成功が東海岸の原住民族地域への観光を後押しし、先住民文化の再評価につながったと報じた。日本の観客にとっても、加害と被支配の歴史を自国語のセリフや日本人俳優を通じて見つめ直す契機となった。中国での再上映は、こうした多層的な受け止め方の一部だけを切り取り、「日本への怒り」の物語として再編集する危うさをはらむ。
奪い合われる記憶と、台湾情勢への重なり
国家が映画を歴史教育や外交メッセージの道具として使う例は、東アジアでは珍しくない。中国では抗日戦争、日本では戦争責任や被害を描いた作品が繰り返し制作され、韓国でも植民地支配を扱う映画が高い関心を集めてきた。「セデック・バレ」も本来は、先住民が日本と漢人社会の双方から抑圧されてきた複雑な関係を問い直す試みだったが、中国での再上映では、その多義性が「日本に立ち向かった英雄譚」へと収斂しやすい。
同じ作品でも、どの部分を強調するかで現在の政治的メッセージは変わる。台湾では、先住民への差別や土地問題に光を当て、「一つの中国」ではくくれない多民族社会の姿を浮かび上がらせる文脈で語られてきた。日本では、かつて自国が植民地支配を行ったという事実に向き合うきっかけとして紹介されることが多い。そこに中国が「台湾同胞も日本と戦った」との物語を重ねることで、台湾を自国陣営に組み込む正当性を補強しようとしているように見える。
高市首相の台湾有事発言への反発から始まった一連の対日宣伝は、今後も歴史や文化作品を巻き込みながら続くだろう。一つ一つの映画が外交方針を直ちに変えるわけではないが、繰り返し提示される物語は、若い世代の「当たり前の歴史観」を静かに形づくる。観客側が、作品そのものの魅力と同時に、それをどのような枠組みで見せようとしているのかを意識できるかどうかが、日中台それぞれの社会に残る課題と言えそうだ。
